精神科と心療内科の違いについて
1.精神科と心療内科の違い
精神科は古い歴史がある診療科です。ヨーロッパでは17世紀には国立や王立の精神病院が建設されて治療が行われていました。日本では明治33年に精神病者看護法、大正8年に精神病院法などが制定され近代的な治療と研究が始まりました。
心療内科は戦後になって元聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生や九州大学の池見酉次郎先生などによって始められています。昭和38年に国内で初めての心療内科学講座が九州大学に開設され、池見先生が初代教授に就任されています。心療内科は「心の面からも病気を治療する内科」という意味です。
このように精神科と心療内科はその基本的な成り立ちも治療対象も異なる医学体系なのですが、最近では両者の区別がなんだか曖昧になってしまっています。ここでは精神科と心療内科の違いについてごく基本的な部分から説明します。
2.精神科の成り立ちと基本的な治療姿勢
精神科の成り立ちは主に統合失調症などの「精神疾患」の治療から始まっています。統合失調症などの疾患は生まれつきの素因も関わった「脳そのものの病気」であり、正常な精神活動が困難に陥り生活が破綻したり自傷他害の危険が現れたりします。遺伝的な要素が強く生活上のストレスとは無関係に発症し、有効な治療法もなかったので20世紀中ごろまでの治療は主に静養のための入院が中心でした。そのため入院しても改善しない重症例の治療は困難を極めていました。
17~18世紀ごろの精神科治療の歴史を調べてみますと、「閉鎖病棟で鎖につながれた患者の開放」とか「精神傷害者の人道的処遇を提唱」、「精神障害者の入院環境を改善する法律が施行された」などの文言が数多く認められます。当時は鎖につながれて非人道的に扱われ廃人のようになっていく患者さんも珍しくはありませんでした。そして近代医学が発達した20世紀になっても、ロボトミー手術などの今となっては人道的とは言えないような治療も行われていたのです。
しかし1952年に画期的な治療法が現れました。向精神薬であるクロルプロマジンが開発されたのです。この薬は「脳そのものの病気」を改善させ得る初めての薬であり、その効果は劇的・画期的でした。それ以降向精神薬の研究は精力的に進められ次々に新薬が作り出されてきました。現在でもその研究は絶え間なく続けられています。
クロルプロマジンをはじめとする向精神薬の劇的な進歩により精神科の治療も大きく変わりました。それまでの「静養と入院(隔離)」を主とした治療に代わって、「次々に開発される向精神薬を使って症状をコントロールして患者さんを社会に戻す治療」が主流になってきたのです。この立場に立った精神医学を「生物学的精神医学」と呼びます。
生物学的精神医学では「精神疾患を脳の病気と捉えて薬を使って症状を改善させる」ことが治療の中心になります。ですから精神医学というよりは「脳を薬で治療する身体医学」ということもできます。そしてこの医学は廃人同様の人生を余儀なくさせられていた患者さんたちを絶望から救い上げてきましたから、人類にとってなくてはならない医学でもあります。
あとで述べる心療内科のように、薬物療法よりも「自我(生きる姿勢)の治療」を重視する精神医学は「精神医学的精神医学」と呼ばれ(ここではすごく簡単にまとめてしまっています)、フロイト博士の精神分析などに始まる長い歴史があるのですが、現在の精神医学の主流は「生物学的精神医学」であり「精神医学的精神医学」は主流ではなくなってきています。
3.心療内科の成り立ちと基本的な治療姿勢
心療内科は冒頭でも説明しましたように「心の面からも治療する内科」がそもそもの成り立ちです。基本的に内科なのですから、治療対象は原則として「体の病気(身体疾患)」になります。
たとえばヒポクラテスが「喘息になったら怒りを鎮めよ」と語ったように、体の病気であっても背景に心の問題が関わるものも少なくありません。そのような病気は「心身症」と呼ばれます。
心身症には多くの種類がありますが、気管支喘息、咳喘息、アトピー性皮膚炎、慢性蕁麻疹、高血圧、不整脈、起立性調節障害、胃潰瘍、急性胃粘膜症候群、過敏性腸症候群、突発性難聴、メニエル病、慢性のめまい、心因性発熱、慢性疼痛などが代表的な心身症とされています。
これらの疾患では心の問題に踏み込むことにより劇的に改善して根治に向かうことも珍しくありません。例えば気管支喘息では心理療法によってステロイドを中止できて根治に向かうこともわかっています。
プラトンは「心の面を忘れて体の病気を治せるものでなく、医者たちが人の全体を無視しているために、治すすべを知らない病気が多い」と述べていますが、心身症はまさにこの言葉に当てはまる疾患なのです。
心身症の背景にある心の問題は精神疾患特有の「原因もなく湧き出してくる不安や妄想」などとは異なり、「本人が自覚できるストレス」がほぼ必ず存在します。それは、疾病・貧困・災害・犯罪・戦争などの「生存を脅かす深刻な脅威」の場合もありますが、それほど深刻ではない「日常生活内でしばしば遭遇する人間関係のストレス」であることも珍しくありません。
心身症の患者さんには、これらの日常生活内の様々な出来事とか人間関係に反応して身体症状の原因ストレスを作り上げてしまうような「自我」が備ってしまっているといえます。
自我とは「その人が毎日の生活の中で物事をどう考え、どう感じてどう行動するか」という、その人の「思考と感情と意思と行動のありよう」の全体を指すものであり、その人の性格や人柄、生きる姿勢などを作り上げる根源になります。
この自我は「幼少期からの身の周りの人たちとの毎日の生活」を通して作られていきます。そして10~15歳ごろの「大人の仲間入りをする時期の毎日の生活」を通して完成していきます。このようにしてその人固有の物事の捉え方や生きる姿勢ができ上がっていくわけですから「自我形成=人間形成」ということになります。
そしてこの自我が作り出す「思考のありよう(傾向性)」がその人の毎日の生活のベースになります。この思考の傾向性は「思考習慣」とも呼ばれますが、この思考習慣が「毎日の生活の中での、その時その時の周りとの関わり」に反応して、その人の物事の捉え方を自動的に設定していきます。この自動的な思考の働きは「自動思考」とも呼ばれます。
自動思考の下では物事ついての対応が「私はいつも無意識に、躊躇なく、当たり前のように、ごく自然にこうしてしまう、こう考えてしまう、私はいつもこうなのよね」とか「あなたはいつもそう考えるのよね」という形になります。これが「思考が自動化」されているということになるのですが、これは決して悪いことではありません。思考の自動化という現象は「脳を働かせるうえでの省力化」でもあるからです。
ただし思考が自動化するということはそれに続く「感情と意思と行動」も自動化することになります。ですから思考の自動化を司っている思考習慣が不健全な場合には自動的に感情も行動も不健全なものになり、心身症の原因となる心因を「自動的に」作り出してしまいます。健全な思考習慣は健康を増進しますが、不健全な思考習慣は心身症の原因にもなり得るのです。
マザー・テレサの有名な言葉に「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」というものがありますが、最後の「運命」を「心身症」に置き換えればこの言葉はまさに心身症の本質を表した言葉ということになります。
この心因のもとになる「思考と感情と意思と行動=自我状態」を調整して心因の改善を図り、薬では改善しなかった患者さんの身体症状を取り除き、薬を減量もしくは中止して患者さんが健全で健康に暮らせるようになることを目指すのが心療内科の基本的な治療姿勢です。
心療内科の治療技法にはきわめて多くの種類がありますが、「自律訓練法(AT)・交流分析(TA)・認知行動療法(CBT)」が心療内科の「治療の三本柱」とされています。認知行動療法は「思考」の治療に有効であり、交流分析は「感情」のコントロールに効果を発揮します。自立訓練法は「行動」の改善に効果があります。
この治療の三本柱を用いて、「患者さんの自我状態を調整して身体疾患(心身症)を治療する内科」が心療内科の元々の成り立ちです。そして自我状態は患者さんの「生きる姿勢」でもありますから、心療内科は「患者さんの生きる姿勢を調整して身体疾患を治療する内科」ということもできます。
このような形で始まった心療内科ですが、現在では不登校・ひきこもり・適応障害・新型うつ・パーソナリティ障害・職場ストレスによるメンタル不調・発達障害の二次障害などの「毎日をうまく暮らすことができない心の状態」へも対応できる医学に発展しています。
これらの問題では、「思考→感情→身体症状」という形だけではなく、「思考→感情→意思→行動」という形でも症状が現れていますから、治療法としては心療内科の「治療の三本柱」が最も適しています。その中でも認知行動療法が薬物療法よりも有効であることは近年よく知られるようになりました。このような形で現在の心療内科は「患者さんの生きる姿勢を調整することにより心の問題にも対応できる医学」になってきています。
4.精神科と心療内科の区別が曖昧になった理由
冒頭でもお話ししましたように最近では精神科と心療内科の区別が曖昧になってきています。その原因は昭和50年代から問題化してきた不登校や新型うつ(逃避型抑うつ・退却神経症・ディスチミア親和型うつ病)などの増加にあると私たちは考えています。
これらの問題については当初からいろいろな評価や分析がなされてきましたが、現在では「自我の確立の不十分さが社会生活にまで影響を現している状態」と認識されています。そして治療法としては「根本的な改善のためには薬物療法は効果がなく認知行動療法が有効」との結論に至っています。「認知行動療法のみが有効であった」という報告もあるほどでした。
ですからこれらの問題は初めから心療内科で治療するべきものであったのですが、昭和50年頃の心療内科は九州大学を中心に研究が始まって10年ほどしか経っておらず、不登校や新型うつのような心の問題に対応するだけの地力がついていませんでした。また「心療内科の治療対象は身体疾患」という認識から「不登校のような行動の問題は専門外」という意識も働き、当時の心療内科で不登校や新型うつの治療を積極的に行っているところはごく少数でした。
その中でも久徳クリニックは喘息を通しての「たくましさの診察」を専門としていましたから、昭和54年の開院当初から不登校の治療も積極的に行い良好な治療成績を残していました。しかしこれは当時の心療内科の常識からは極めて例外的な事例だったのです。
そして昭和60年以降不登校や新型うつの患者さんは増加の一途をたどり、心療内科ではなく精神科を受診する患者さんも増加しました。それでもこれらの問題はもともと精神疾患ではありませんから、患者さん側にも「精神科に行ってよいものだろうか?」とか「精神科を受診するのは(世間体からも)気が引ける」という気持ちが出てきてもおかしくはありません。
そのような事情もあってか、昭和の終わりごろから精神科の医師が開業する際に「受診の敷居を低くする」目的で専門外の心療内科を標榜する(看板に掲示する)ことが一般的になってきました。
平成22年に出版された「日本心身医学会50年史」では「精神科に関しては最近多くの医師が心身医学会に参加した経験もないまま開業に際して(専門外の)メンタルクリニックや心療内科を標榜し、保険では(保険点数の高い)精神療法を算定するという現状にある」と苦言が呈されています。
すでにお話ししましたように精神科と心療内科はその成り立ちも対象疾患も全く異なる医学体系なのですが、それを強引に「くっつけて」しまったのはメンタルクリニックの経営対策という全く医学の立場から離れた次元で始められたことだったのです。
その結果現在では、「精神科・心療内科」を標榜していても心療内科の治療は行わないメンタルクリニックが多数派になってしまいました。こうなりますと患者さんとしては心療内科を受診しているつもりでいても現実には精神科の治療しか受けていないことになりますから、その患者さんが「精神科も心療内科も中身は同じ」と考えられても不思議ではありません。このような状況の蓄積が現在の精神科と心療内科の区別の曖昧さを生み出してしまったと思われます。
5.心療内科専門医の見つけ方
4で述べたような理由で昭和60年ごろから心療内科という言葉は広く使われるようになりましたが、これは心療内科医が増えた訳ではなく「心療内科を標榜する精神科が増えた」だけのことでした。
そして「心療内科(心身医療)専門医」はその資格取得のハードルの高さから、令和6年1月時点でも全国に573名しかいません。ですから現在でも心療内科専門医の診察を受けることはなかなか困難であるのが現実です。
心療内科専門医を見つけるには、日本心身医学会のホームページなどで地域の専門医を探してみるか、医療機関のホームページで医師の経歴を調べてみればある程度の見当はつきます。精神科の医師で心療内科専門医の資格も持っている医師は極めて少数ですから、精神保健指定医の資格だけを持った先生は精神科の先生である確率が高くなります。
ただし心療内科の治療は心療内科専門医の資格がなければできないというわけではありません。たとえ精神科の先生であっても「治療の三本柱」を用いた治療を行っていればそれは「心療内科の治療」を行っているということになります。
このような先生方を見つけ出すためには、看板やホームページの情報はあまり参考になりません。最も参考になるのは治療姿勢を確認してみることになります(ただしこれは一度は受診してみないとわからないかもしれません)。
心療内科の基本的な治療姿勢は既にお話ししたように、「治療の三本柱」を用いて患者さんの生きる姿勢を調整して症状を取り去り、薬も減量から中止を目指すというものになります。そしてこの治療を行うために最も大切なものは「会話」です。私たちは心療内科では「医師が薬・言葉が薬」と考えています。
「会話によって症状を改善させ薬を減らしていく」のが正統的な心療内科の治療姿勢ということになります。このように考えれば心療内科医は「人生相談の相談相手」でもあり「健全な生活習慣を身につけるためのお手伝い」をしているとことにもなります。この相談相手を上手に利用して健全で健康な生活を取り戻して頂ければ幸いです。
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