愛知県小児科医会報日本小児科医学会誌 /1988年2月号 日本小児科医会発行
育児崩壊の過去・現在・未未・・・・・・久徳重盛

 

子どもの成長、発達にとって親の行動や態度がいかに大切であるかということはいまさらいうまでもないことである。しかし、わが国の育児崩壊の歴史をみてみると、そこには明らかに時代によるパターンの変化がある。高度成長よりも前のわが国の親たちは育児上手な「賢い親」が多く、生めば育てるごとができるという点では親として生物学的な健全性を維持している親が多かった。J.ボウルビーは1950年、WHOレポートでmatemal care deprivation理論を公表したが、それは当時のわが国の親たちには必要のない理論であった。

昭和30年頃、わが国が高度成長期に入った直後から急速にわが国の親たちの育児崩壊が始まった。

母親たちは幼いわが子を0歳保育所、職場保育所に入れ、労働力として労働市場に繰り出し、わが国のGNPを伸ばすことに協力した。まさにJ・ボウルビーのいう母性剥奪理論に相当する時代に突入したことになる。この現象を、わが国における第1期の育児崩壊の時代を考えると、それは昭和30~50年のことであり、その当時の子どもは一代目の先進国型育児崩壊の親に育てられたことになる。この現象は親の育児軽視、育児放棄の思想を助長することとなり、その頃に育った子どもたちが、次第に二代目の先進国型育児崩壊の親として子育てをする時代になるに従って、わが国における育児崩壊は第2期に入ったことになる。そして間題は,子どもの登校拒否、家庭内暴力、校内暴力、いじめ、性の乱れなどの非行という形で現われて来た。そしてこれら人間形成障害に由来する問題の子どもたちの発生源となっている家庭は、J.ボウルビーのいう母性剥奪理論があてはまる貧困家庭でもなく、育児を放棄して、母親が働く家庭でもなく、ごく普通の家庭であり、社会的地位もごく普通の家庭なのである。

私の母原病理論はこの現象を指摘したものであり、わが国における第2期の育児崩壊現象は、明らかに経済成長に伴う先進国型育児崩壊現象なのである。経済成長した社会では、社会や家庭の持っている育児機能が崩壊し、その結果、親の育児能力は先進国型の崩壊を呈するに至るのである。

当然この現象は一般家庭を侵し、「出産と育児の乖離現象」つまり、出産はしたがどう育ててよいかわからないという親が多くなり、子どもの人間形成障害は一般的な現象となるのである。

フランスの育児の歴史を調べてみると、この現象はすでに13世紀に現われており、子どもは親に害を与える存在、子供は親にとって悪魔であるという価値観が支配的であり、この考えは数百年も続いているのである。フランスの女性哲学者パタンテールはフランスの育児の歴史を調べ、1780年、パリで21,000人の子が生まれたが、19,000人の子が里子に出された事実を知り「人問の母親に母性本能があると信じられていたがそれは神話に過ぎない」と結論している。1980年発表された彼女の見解はもちろん学問的に正しいものではないが、文明と育児崩壊人間崩壊の関係を知るのには参考になる事実である。

わが国における急速であり高度な高度成長は、世界にも今まで例を見ないほどの目まぐるしい育児崩壊現象を呈したのである。いま一代目の育児崩壊の親に育てられた子どもたちが、二代目の親として育児を始める年代に入っており、この子たちが三代目の先進国型育児崩壊の親として育児を始めるのが、ちょうど21世紀に入る頃である。

おそらくその時代には、出産はしたがどう育ててよいかわからない育児についての適応行動障害の親が90%を占め、産んだら育てることのできる、いわゆる賢い親は10%以下になるのではないかと思われる。出産と育児の乖離現象がこのように高度な杜会になり、「異常の正常化現象」つまり、人間の親は子育てが下手なのが当たり前であり、牛や犬などのように産んだら上手に育てる親は珍しく、正常でないことという価値観の世の中になってしまったら、日本の親たちを昔のような賢い親に戻すことはほとんど不可能になってしまうはずである。

わが国の育児崩壊は1年でも早く阻止する必要があるが、それはまたきわめて困難なことなのである


 
前号の『全国・各地の会報から』の転載記事について、若林実先生からご意見が寄せられたのは62年春のことであった。早速、広報委員会で協議のうえ、久徳先生に回答のご執筆をお願いしたところご快諾を得た。両先生と1~2回の書面の往復で調整させていただき、このような形でお目にかけることができたのでどうかお読みいただきたい。なお、女医の意見もということなので蛇足を加えた。
(日本小児科医会広報委員長・中尾聰子)
 
 
 
母原病への疑問・・・・・・若林実
本誌第2号に久徳先生の母原病理論が掲載されていた。私自身、先生の「母原病」を読んで、感服し時々、お母さん方にお説教を垂れていた。たしかに子供に及ぽす母親の影響は大きなものがあるが、なんでも母親の責任におしつけてしまうのは医師にとって安易であり、もっと重大な原因を見のがしてしまうきらいがあると最近は思うようになった。
たとえば、私自身が喘息で苦しんだ経験があり、女医である母が過保護であったことも否定できない。
しかし、喘息の頻度の増加の最も大きなファクターは大気汚染であることに異論を持つものはなかろう。また喘息に苦しんでいる子供の母親に常に冷静に観察しろと要求するのも酷な気がする。
久徳氏はむかしの母親は立派だったというが、どの時代に今の母親はすぼらしいと賞讃されたことがあろうか。古代の文献にすでに今の子供たちと、それを養育する親のだらしなさを嘆いたものがあるという。
「今の母親は子供を甘やかし、ぜいたくにながされていて、なげかわしい」これは乃木将軍が学習院の院長に就任したときの言葉である。
弥生時代、鎌倉時代、明治時代に仮にすばらしい母親がいたとしても、それは現代の母親のモデルにはなり得ない。
核家族化、母親の職業への進出は時代のながれで、このことの是非をいってもはじまらない。どうしたら新しい時代の育児をきずき上げられるか、われわれが考えなくてはならないことで、いたずらに「昔はよかった」といってもしかたがないことである。
小児科には女医さんが多い。彼女達の方が、職業を持った子供の育て方をよく理解できると思う。
ぜひ女医さん達からの母原病に対する反論を聴きたいと思っている。
(国際親善総合病院小児科)


若林先生へ・・・・・・久徳重盛
会報2号に掲載された私の「育児崩壊の過去・現在・未来」について若林氏から投書が寄せられたので紙上討論をお願いしたいという編集子からの依頼があった。
2号の私の考え方は、昭和50年、国際心身医学シンポで発表した「文明の進歩に伴う育児崩壊について」の理論、さらにその後に検討を加え、第25回日本心身医学会総会シンポで発表した「経済成長に伴う生物としての健全性の崩壊と心身症、文明病の増加との関係」の理論をもとにしている。
「母原病」はその考え方にもとづいた一般の人びとにむけた症例集とでもいうべきもので、そのメカニズムは極めて難解なため,母原病だけを読んだ人びとの理解は実にさまざまであった。姑が嫁(母)いびりに使ったとか、「母親だけを責めるのはけしからん」という表面的なものから、「学童や父兄の現状が理解できた」とか、さらには「母原病理論は、問題児は貧困家庭、欠損家庭から現われるというJ.Bowlbyの理論が通用しなくなった新しい時代の問題児理論だ」と、母原病理論の真意まで洞察してしまった人びとなどまであった。
母原病理論は「文明と人間形成障害」、「文明国型育児崩壊」、「環境と育児についての適応行動、本能行動の関係」についての理論、文明批判の理論というべきで、発展途上国から先進国型杜会になった国々では同じ現象が現われているそうである。韓国、タイでも翻訳、出版されているが、韓国では全国的に、タイでは大都会で母原病理論に合致した現象が現われているといわれている。
母原病理論は文明のすすんだ国(杜会)では地域杜会の連帯、大家族の連帯が崩壊、夫婦関係、親子関係が無意識のうちに崩壊してしまう、その育児の困難になった杜会、家庭環境のなかで、子を育てねばならない「文明国における親の悲哀」を述べたものである。若林氏がいうように、安易に母親を責めている理論ではない。
次の若林氏の「いつの時代に完全な親がいただろうか」という主旨のご意見はもっともなところもあり、反論の余地もある。人間の親はたしかに育児についても生物としての健全性を失っている面を否定できない。簡単な説明はなかなかむずかしいが、一応説明したい。
 
■人類の進歩に伴う一次的な生物としての健全性崩壊
人以外の高等な動物は、象が象を殺すとか狼が狼を殺すなど同属を殺すことはないし、生物的に合目的な育児行動(positive parental care)はあるが、積極的にわが子を駄目にし、傷つける生物的に合目的でない育児行動(negative parental care)はもっていないし、子が親に反抗し、害を加える能力も、自殺し、発狂する能力も持っていない。しかし人間だけは同属を殺し、親子が傷つけ合い、自殺し、発狂することができる能力をもつことができる動物になった。霊長類の考古学者の見解を参考にすると、人類の進化の過程で人間は数十万年の昔、「生物としての健全性の崩壊しやすい生物的存在」になったようである。
人にnegative parental care(悪魔の愛情という)があることは古代エジプト、古代ローマやギリシャ時代から知られている。したがって昔から人間は親の育て方により神や仏のような人にも悪魔のような人にも育てることができるといわれているのである。人間は進化したことによって生物としての健全性を失ったので、進化とか、進歩とか、万物の霊長という考え方は誤りかもしれない。
 
■PATRISM社会と人間----親
経済的に貧しい、不便な世のなかをPATRISM社会という。この杜会で生まれ、育ち大人になった人びとは、無意識のうちに個体維持本能が高められ、連動的に集団に対する適応行動・本能行動も高められ、地域共同体、大家族の維持(近隣愛、家族愛など)が容易で、育児についての適応行動・本能行動も高められる。つまり出産したら育てるという能力が高められやすいものである。子の立場からいえば、子の育つ畑に相当する杜会・家庭・親が環境としてhomostasisを維持されやすいのがPATRISM杜会であろう。negative parental careの抑制作用があるのである。つまり発展途上国型杜会の親は、MATRISM杜会の親よりは育児本能が充実した賢い親になれるのである。
 
■MATRISM社会と二次的な生物としての健全性崩壊
物質的に豊かで、便利な杜会をMATRISM社会というが、この社会では人びとは無意識のうちに個体維持本能は低められ、たくましく生きることがむつかしくなり、文明国型長寿現象が現われ、連動的に集団機能も崩壊し、地域杜会の連帯はなくなり、大家族は崩壊し、核家族化が進み、親は先進国型育児崩壊の親にさせられやすくなってしまう。出産してもどう育ててよいかわからないという状態の親が多くなる(出産と育児の乖離現象)。先進国ではこのようなメカニズムで、近所付き合いを嫌う人、育児を嫌う人、大家族を嫌う人、夫婦であることを嫌う人、働くことのできない人など、いろいろな価値観の人びとが現われる。
親であることの価値が低下し、夫婦の立場を重視、夫婦の価値が低下し、離婚、独身志向の増加コースをたどる。価値観の多様化現象はこのようなメカニズムで現われる。文明国型人間形成障害、文明国型人間崩壊、つまり文明環境によって、人間はさらに生物としての健全性がこわされるという宿命をもっている。もちろんすべての生物をつくってくれた地球をも積極的にこわすのが近代文明であるといえる。愛という立場でいえば、文明がすすむと地球を愛し、自然を愛する心がなくなり、地域愛、近隣愛、家族愛、夫婦愛、育児愛も無意識のうちにうすめられ、ゆがめられやすくなるということになる。若林氏は核家族化などの是非をいってもはじまらないといわれるが、核家族化は「病める文明」という大河の流れのなかの一現象なので、核家族、離婚や育児放棄、それに伴う文明国型問題児や不健康児の問題も、その是非をいってもはじまらないということになり、さらには大気汚染、海洋汚染も自然や地球の破壊も、その是非をいってもはじまらないという価値観につながってしまうのではないかと思われる。
なにしろ原稿枚数が少ないので、本文も小生の意を尽くしているとはいえない。
本文をごらんになった方で、理解しがたい点があったら、一般書としては「愛欠症候群」(海越出版社)。医学書としては「生涯各期における心身症とその周辺疾患」(並木正義編著、診断と治療社)を参考にしていただきたいと思う。
最後に一言、若林先生は小児喘息増加の最大原因は大気汚染と断定されているが、それはまだ検討の余地があるように思われる。
(名古屋・久徳クリニック院長)
 



女医の意見
私自身は戦争で10人の家族を9人まで奪われながら1人生き残り、若くして結婚して戦後の混乱期に4児を育てた母親であり、また成人するまで重症の喘息に脳まされた者でもある。
そうした弱少の私をあの過酷な状況の中で生かしめた力のひとつは、生物としての女性の持つ強さ、まともさ(強靱さ,中庸さ)ではなかったであろうか。子を生み育てる性として女性に備わった特性であり、いつの世にも女性の本質は変わらないと思う。
だから育児ができるはずだなどと短絡的なことはいわないし、一方では,私は現代の育児崩壊の現実を最も憂えて来た一人でもある。世はまさにMATRISM杜会なのだから。
でも私は同性として信じたい。いつか彼女ら自身が危機に気づき、本来の姿に立ち戻って内側から崩壊に歯止めをかけてくれることを…。事実、新しい型の母親が育ち始めているような気がしてならない。