ぜんそくジャーナル

 

150号ジャーナル

【手記】「和と愛と感謝」       愛知県 Sさん    

 
最初の発作が起きたのは、忘れもしない昭和62年1月20日の夜中のことでした。突然呼吸ができなくなり、目が覚めて飛び起きたまま窒息の恐怖におびえ何時間も動くことができませんでした。
すぐその翌日から某大学関連の病院へ受診・通院しましたが、毎日、昼、夜、それぞれ 3回位もの発作に苦しみながら、受けられるのはその場凌ぎの対症療法だけでした。「気管支喘息」という診断はついたものの、「病因は分からない」と医師からいわれ、3ヵ月間病状は好転せず、ついに2週間会社を休み、入院のためのベッド待ちの状態になってしまいました。
 
思いがけない病気にかかり発作の治療を受けながら考えたことは、(1)何冊か読んだ家庭医学書にも軽くなった話はあるが、治ったという体験事例がない!完治することは諦めなければならないのか?(2)一緒に点滴を受けていた他の病気の入院患者の人が、「同室の人の発作を見ていると実に苦しそうで、ぜんそくだけにはなりたくない」といっていたが、この病院に入院しても治る保証はない。発作の治療だけではさらに悪くなるに違いない…。ということでした。
そこで、妻の意見もあって、根本的に治して貰えるぜんそくの専門医に変わろうと決意しました。丁度そのとき、久徳先生のことを知人から教わったのです。これが私にとって運命の分かれ道であったのです。
 
さて、久徳クリニックを受診して驚いたのは、先生の診察・治療の仕方がそれまでのものと全く違うことでした。余りにも筋が通って理解しやすいことに驚いたのです。
久徳先生は、「喘息という病気には一人ひとりにはっきりした原因がある。その原因を知って自分にあった最善の根本療法(再発防止予防)の計画を立て、実行することにより根治できる」と断言されたのです。しかも、「喘息は単に呼吸器の病気ではない。原因の基礎は乳児期の育児環境によって作られた弱い体と心にある」と、人間形成の上から科学的に説明されたのです。
 
そして、長時間かけた問診とカウンセリングによって私の生い立ちと性格の中から私の心因性喘息の原因(実力を是認しない背伸びや人間関係での過剰適応)を引出し、気付かって下さったのです。
一方、発作の処置についての指導も行き届いたものでした。久徳重和先生や小宮豊先生と看護婦さんが、苦しむ私を励ましながら腹式呼吸、排痰の実際を体得させてくださったことは、極めて有り難いことでした。
 
薬の特性・使い方も懇切に教えてもらいました。100種類ものアレルゲンについての反応テストなど必要な検査も始まりました。総てが納得できる啓示でした。
根本療法の方向が次第にはっきりしてきました。次は、それに基づいて、具体的に行動することが自分の責任でした。周囲の人の協力を得ることが先ず必要でした。
 
幸いなことに、家族の理解と協力は最高でした。妻も直接、ケースワーカーの先生にお話を伺ったり、毎日4kmの速歩に付き合ってくれました。
会社では、幾つかの会議の席上で、率直に病因と対策について上司・同僚・部下に説明しました。可能なことは全力を尽くすが、実力を超える困難なことに無理して頑張ることはしない。その場合は援助を頼む旨話したのです。何事も80点で満足し、「他人も自分もこれで善いのだ」と考えを変えるようにしました。併せて、残業・休日出勤は必要最小限とし、仕事を家にもって帰らないと決め実行しました。今までの自分の「信念・行動」から180度の転換でした。
 
おおらかな神経を持つための「畳なめ」などの練習を実行する一方で、積極的に会議の司会や遠距離出張をすることによりタフな精神を持てるよう、病気からくる引っ込み思案に挑戦しました。
また、体つくりのために、毎日の速歩のほか、好きなカメラを持って山歩きに努めました。特に夏休みには救急車も来れないような長野・新潟県境の山の奥に出掛けたのも心身の鍛練になったと思われます。
 
その間、久徳先生の多くの著書をはじめ、良く分からないまでも生き方を変えるのに役立つと思われる心理学に関する本など、例えば「こじれる人間関係(交流分析)」「自分を活かす心理学」「朝刊シンドローム(うつ病操縦法)」「ミドルの生きがい働きがい」「夫婦・人生の長い午後」などをむさぼり読んだものです。
更に、会社での今後のことを考え、自分の専門分野の知識に新風を吹き込むために、6ヶ月にわたる延べ30日の研修に大阪へ出かけ、若い人と一緒にこれを終了することができました。
 
このように書いてきますと、極めて順調に回復したように思われるかも知れませんが、実際には一進一退の病状が続いたものです。点滴の連用もありました。短期間ながらステロイド剤の服用もありました。ひどいときには、少し笑っても咳をしても発作になるという悪夢のような毎日でした。大阪出張時は、毎夜発作との戦いでした。しかし、慌てずに自分で発作を乗り越えることを会得し、発作が怖くなくなったことは、そのような日々の中で明るい希望でありました。
 
そして次第に体調が回復し、5月に中旬からは全く発作から解放されました。薬も体質改善の「ザジテン」「ヨウレチン」のほかは、「ぜんさん」「テオナP」「ベロテック」などの気管支拡張剤のお世話になることもなくなりました。 たしかに仕事や人生に対する考え方も変わり、久徳知裕先生の言われる「鳴かぬなら鳴くまでまとう…」の心境で、自由な気持ちが持てるようになりました。
「今後再発しない」とは、まだ言い切れませんが、多分も大丈夫だろうという自信のようなものを感じています。たった1年そこそこで絶望の淵から這い上がれたのも、久徳院長先生はじめ諸先生および看護婦さんの皆さんのお陰であり、また自分の回りの人々の厚意によるものと感謝の気持ちで一杯です。常に院長先生が強調される「和と愛と感謝」の大事なこととつくづく思うのです。
 
喘息は隠していては治らない病気のようです。自分自身の弱さを素直に見つめる勇気、自分を変える行動力も必要であると思います。私の場合、これが病状を好転できた重要な条件であったと言えます。お互いに助け合い、根治に向けての努力を続けようではありませんか。