ぜんそくジャーナル

 

118号ジャーナル

【体験談】「千に一つの無駄もない」教え・愛知県Yさん 

 
Yと申します。自己紹介をさせていただきますが、三河の知立というところの出身です。昭和17年生まれの48才です。
このセミナーに参加させていただいたのは昨年の9月17日、「上手な発作ののりこえ方」というテーマのときにはじめて参加させていただきました。
 

喘息と診断されるまで


私がはじめて発作をおこしましたのは昭和61年の冬でした。1月のちょうど中頃でしたがカゼをひきまして、気管支が弱かったせいか咳もよく出る、熱もよく出るという体質でしたから…医者へ行きまして、その医者は近くの医者でしたが、熱をとる注射を射っていただきまして、家に帰って床の中に入って横になってすぐ突然発作がおこりまして、もうハーハー苦しくとにかくもう息が止ってしまうのではないかという、もうなんともいえない状態でした。寝ていることができませんので、起き上がって枕をかかえてじっとしているのが精一杯で、医者へも行けない。うちの女房があわてて救急車を呼ぼうかというくらいのものでしたけれど、30分ぐらいたちましたらだんだんよくなってきたものですから、医者へ逆戻りしたのですが、「これは喘息ではないよ」と言われましてですね、私は「先生、喘息ですよ」と言ったんですが、音がしなかったためにその先生もおわかりにならなかったのかと思います。とにかく「ぜんそくではない」と言われまして、じゃああの苦しみは一体何だったのかと思いました。
しかし、その先生が「喘息ではない」とおっしゃいますものですから、どうしたものかと女房とも相談しまして、近くの薬局さんに喘息の漢方薬を調合しますという看板がありましたものですから、そこへ行きまして薬を調合してもらい約2年間ぐらい、その薬を飲みましたら発作はさほど出ませんでした。あ-これは治ったかな、よくなったかなと思っておりましたところ、昭和63年の夏にカゼをひき、咳がちっとも止まらなくてずーっと続きました。これは肺がんかな?結核かな?と自分で心配しました。今度は違う病院へ行って精密検査をしました。そうしたら、肺がんでも結核でもないと言われ、ホッとしましたが、やはり咳は続きました。ゼーゼーという喘鳴が出現し、ちょっと息が苦しくなり、小発作もおこるようになりました。そして11月頃突然ポーンと発作がおこりまして苦しくなりました。偶然息子がおりましたものですから、すぐ先生のところで診察を受けましたら、「これは喘息だな」と一言いわれ、点滴と酸素吸入をし、約20分で発作はおさまりましたが、これ以降そんな状態がつづくようになり、年が明け、1月~2月になって もやはり一週間に1回から、毎日のように発作が大なり小なりおこりました。私の発作は、夜になって仕事を終えて帰ってきてから寝るころになると大概出てくるような発作でした。それからはどうしたらよいかもわかりませんでしたので、まあとにかく先生の言われるとおりに薬を飲み、発作が出たときにはとんでいって点滴をうけるという状態をくり返していました。
 

誤った判断

私の仕事は土建業で、親父の代からですが、兄と2人で三井建設の名古屋支店の方で、トビ工事を専門でやっておりました関係上、高いところへ上がったり、また土木工事をやったりしておりましたが、「仕事はムリをするな」というのが先生の口ぐせでした。「体の無理をして体に疲れがたまったときに必ず喘息の発作が出るのだから、体の無理をしてはいけない、体を冷やしてはいけない、安静にしていらっしゃい。」というのが先生の教えでしたから、それを守っていましたがやはり発作はおこりました。「そんなに疲れていない。毎月同じことをしているんだがなあ…」と思っていましたが、4月になってあたたかくなってきたら、少しよくなってきたので「あ-これはいいかな…」と思っておりましたが、5月の連休の明けに、仕事場で3.5メートルの高さから足をすべらせまして、コンクリートの土間へ、腰からおちました。何ともかんとも身うごきができずに病院へ運ばれましたら、第一腰椎の圧迫骨折という診断で、ちょうどおへその裏側の背骨が約5ミリ折れていました。
ギプスベッドという石コウのベッドの中に7週間安静にしたまま、じつとしていなくてはならない。折れた骨は治らないが、かたまるまではじっとしていなければならないと言われまして、すぐにそうなったわけですけれど、それが午前中でした。そうしたら、夕方になって発作がポッと出たわけです。もう、あお向けになって身動きとれないときに発作がきて痰がからんだら、もう、こんな苦しいものはありません。背中は痛いは、息は苦しいはでもう地獄のような苦しみでした。整形病棟の看護婦さんが見にいらして、すぐにベッドごと内科病棟へ移されて、点滴とか酸素吸入とかを受けましたが、3日間ほどはそりゃあもう地獄のような苦しみでした。日にちがたつにつれ、痛みの方は軽くなっていきましたが、喘息の発作の方はくり返しました。横になってできるだけ痰を出すようにするのですが、痰が出なくなったときのその苦しさというのは喘息の方ならおわかりになると思いますが、何ともいえないものです。寝ているのが苦しいが、すわりたくてもすわれない、そのままの7週間というのは地獄のような日が多かったです。
喘息の発作も何回かおきましたが、7週間たちまして少しすわれるようになってから、リハビリにとりくんで動けるようにはなりましたが、それでも喘息の発作はなかなかおさまりませんでした。
 

ステロイドとは?

ただこれは、あとで久徳先生のところへ行つてからわかったことなのですが、この内料の医長の先生が、「私はステロイドという薬が非常にきらいだから、発作がひどいときにはポーンと使うけれど、すぐにやめるからね」と言われましたが、私はステロイドというのがどういう薬なのか、実を言うとわからなかったです。ただ「ああこれは体にはあまりよくないんだな。でも、喘息の発作にはよく効くんだな」ということぐらいしかわからな かったですけど、その先生の「ステロイドを使うのがきらい」というのが、私にはよく作用していたのかもわかりませんが、久徳先生の方へ伺うようになってから、副賢機能などを調べてもらいましたところ異常もなく、ほっといたしました。
 

セミナーに参加して

そして9月17日このセミナーに参りまして、発作を上手にのりこえるための腹式呼吸と押し出し排痰法を教えていただきました。2回目からは私もテープを持ってきたのですが、その時は初めてでして、テープを持ってくるところまで気がまわらなかったものですから、黒板に書かれたことはもちろん、先生のいわれることをすべて、たーっとノートにとりました。そして家に帰ってから清書して、一生懸命練習してそれを自分の身につけるまで、やはり発作もおこりましたけれど、1ヶ月半ぐらいでなんとか発作ものりこえられるようになりました。このセミナーがいかに大切なものであるのかを痛感することができました。そして9月26日にはじめて先生のところへ参りまして、自分の喘息が何であるのか、喘息というものを知るということについて教えていただきました。久徳先生に「まず、喘息のしくみをおぼえなさい」と言われました。心か、体か、感染、生活その一つ一つが、「自分の喘息に何がかかわっているのか、まずそれをおぼえなさい」と言われまして、それと同時に、自分のやる気、意欲、心を前向きにして、くよくよするのではない。それと体を動かし、体をきたえるということを強く言われました。私が常々かかっていました先生は、「体を動かすんじゃない、静かにしていろ、大事にしろ」といってみえましたので180度違うことをいわれましたから、これでいいのかな?と思いましたが、「とにかく俺の言うことをきいてやってみろ」とそう言われました。それと、もう一つ大切をことは、私一人ではなくて、家族にもわかってもらって協力してもらうこともすごく大事なことだともいわれました。
それで、まず、自分の喘息のしくみということを先生とお話ししまして、その時ははじめての診察のときで、約1時間ほどかかりましたが自分の喘息の原因を知ることができました。私の喘息の80~90%までは「心の喘息」ということがわかりました。と言うのは、私は仕事の関係上大勢の職人を使っております。100%のきちんとした仕事をやりたいですし、私も神経質な性格ですから、職人にそれを要求します。職人がそれをやれませんと私もイライラして文句をいいますので、職人もかえって反発してなかなか動いてくれません。また10の能力のない人に10をやれといってもできるものではありません。ただ私は、それがわからなくてそのくせ「これだけの仕事をしなくてはならない!」というのがありますから、それとポンポンと職人に押しつけるのです。ですから、そのストレスがたまりまして・・・胃も悪くなりますし、仕事がうまくいかないとクヨクヨと落ち込んでしまいました。こういう事か続いた関係で、心が原因の発作がボンと出たというのが私の喘息だということがわかりました。
 

家族教育の必要

それから、まわりの者の協力を得たいということですが、なかなか仕事をしている人たちの協力は得られません。相手の人も喘息という病気のことをよく知っている人は少ないと思います。ですから、私であれば妻、奥さんが喘息であれば夫、子供さんが喘息であれば両親の協力が必要であると思います。そういった患者のまわりの人が喘息を知るということはすごく重要であると思います。といいますのは、私も昨年9月以来、毎回セミナーに出席しております。私の2回目からの定席は、前列の外から2番目、3番目というところですが、あそこに必ず女房も来てくれております。そして必ずテープを取っております。そのテープは、私もタビングしてそれぞれに持っておりますが、まず、私よりも妻の方が喘息に関してはよく知っております。といいますのは、家におる時間が長い分だけ、テープをきく時間が多くとれますので、それだけ先生のいわれることをよくきいていてくれるということなのです。だから私が忘れかけたようなことなどを注意してアドバイスしてくれるのは、まず妻です。これは私は非常にありがたいと考えております。結婚してしまえば女房なんてものは空気みたいなものだと思っておりましたが、今度という今度は本当に頭の下がる思いがしました。それぐらいうれしく思っています。先生の「まわりの家族も喘息について知るべきだ」という言葉の意味がよくわかりました。それと2人の子供ですが、2人とも20才をこえております。子供の協力といってもなかなかできませんが、実は私は、朝6時20分に家を出ます。
 
ですから朝の鍛錬をするためには、5時には起きなくてはなりません。今の5時はいいですけど、冬の5時というのは大変です。「ビー」となる目覚し時計だけではなかなか起きられません。女房は起きて一生懸命起こしてくれるのですがなかなか起きることができません。子供がそれを見まして、今日ここにも持ってきていますが、これ(目覚し時計)を貸してくれました。多分ガールフレンドから誕生日にもらったもので、ずいぶん大事にしているものなのですが、「これは親父にやるんじゃない。院長先生の声だと思ってきけ」とそういいまして貸してくれたのですが、非常におもしろいユニークなものです。ちょっとやりますから聞いて下さい。(目覚しのスイッチを押す)『ボン、オイ、オキロヨ!目覚しの音)これです。これが非常にいいです。リンリンと鳴る目覚まし時計よりもよくキキます。「オイ、オキロヨ!」「はい!起きます!」って感じです。
 
こんなこともありまして起きられるようになりまして、おかげ様でそれから毎日一日もかかしたことはなくジョギングにでかけることができました。はじめのうちはとても走ることなどできませんでした。ラジオ体操をして妻と2人で歩くのが日課でしたが、ラジオ体操も妻がラジオ体操のテープを買ってきてくれまして、ラジカセでききながら、まっくらな中でしたものです。そうこうしているうちに、少し走れるようになりました。歩いている時も、走っている時も腹式呼吸に心がけました。そうこうしておりますうちに12月ごろになってからだんだん発作もすくなくなってきまして、今年の1月に女房がひろってきたカゼをもらいまして発作が出ましたが、それから喘息も知らない間になくなってまいりまして、痰もからまなくなくなりました。非常に気分壮快です。今は朝1.5キロほど2人で走っておりますが、帰ってきてから水かぶりをしています。
 
正直いって、水かぶりもなかなかできなかったです。やっとあたたかくなってから、湯からはじめて最後は水にしていくというふうにはじめましたが、水をかぶるというのも、なかなか勇気のいるものです。自分がやるのではなくて女房が、「私がかけてあげる」といってくれますが、これははっきり言って女房の快感だと思います。こんな時しか私をいじめられないし、自分がかぶるのじゃないからというので冷たい水をばんばん、ばしゃばしゃかけてくれます。そのおかげで今ではもう全くなんともなくなりまして、今でも女房が遠慮なくかけてくれますが、このままの調子で冬までいけそうです。
 
このような鍛錬のことまでも先生はいろいろ教えて下さいますが、先生の診療のときに必ずテープをもっていって録音して、それを何回も何回も、10回も20回も聞くこと。これが私はいちばん大切だと思いますし、私もそうやって治してきたと思っています。
 
私は親によく言われましたが「親の教えとナスビの花は千に一つの無駄もない」という教えがあります。先生のおっしゃられることにも、千に一つの無駄もありません。多くの喘息患者を根治させたいがために先生は、一生懸命教えて下さるのです。今日も先生は汗いっぱい、額に汗いっぱいたらしながら先生は、おしえて下さいます。これは損得ではないと思います。今の病院は、医は仁術ではなく医は算術という医者が多いと思います。袋一杯、腹がふくれるほどの薬をくれてそれを飲めという医者が多いと思います。でも久徳先生は「薬は徐々にやめろ、飲むんじゃない、鍛錬をして自分で治すんだ。」と言われます。そんなことを言う先生はまず世の中にはいないと思う。薬をのまなくて医者にこなくていいというのでは医者はもうかりませんからね。でも先生はそれをとにかく1人でも多く根治させるために「治るから俺の言うことを聞け。言われたことを守ってしっかりやれば必ず治るんだから。そのためには本人の努力と家族の援助が必要なんだ。」と一生懸命説かれます。その先生の言われることを守っていけば、必ず100%治ると思います。私は今、欲目ですが、60~70%ぐらいしか根治していないと考えています。あと30~40%はこれからも久徳先生および若先生2人の教えを守り意見を聞き、見落としがないか、また再発しないかということを考えながら、根治100%に向って努力していくつもりです。
 
今日、初めての皆さんもおられると思いますが、久徳先生はまず「100%治る」と言われます。これだけ言われる先生は、まずみえないと思いますので、どうぞ喘息で苦しんでおられる皆さん方は、とにかく早く、先生の言われることを守って、根治に向って努力していただきたいと思います。私も皆さんと一緒に一生懸命努力したいと考えております。どうもありがとうございます。