ぜんそくジャーナル

 

120号ジャーナル

問題の社会と人があるから問題の子が現われる

       

■問題の社会と問題の大人

子供がしっかり人間として充実した大人に育つためには、子の育つ畑に相当する社会とか家庭、家族、親など「文化的な環境」が健全であることが大切なのです。
こんなことは誰でも知っていると思うのは素人の浅はかさで、社会学者も、心理学者も、そして医者でさえも、「子育てに必要な健全な環境とはなにか」知っている人たちが、日本だけでなく、世界的にも存在しないというのが実情なのです。
そんなわけなので、文部省や厚生省の役人はもちろん、青少年の健全育成を目ざす仕事をしている人たちも、登校拒否や校内暴力がふえても、日本の親が子をうむ数が少なくなって、このままでは日本人が自滅してしまうと分かっていても、非行やシンナーや青少年の性が乱れても高校生の中退がふえても、適切で有効な対策はなく、「手も足も出ない」というのが日本の現状なのです。
いま、日本では、「どう育ててよいか分からない」という親が主流を占めるほどふえていますが、こんな問題の親がふえただけでなく、日本の指導的立場の人たちもみな、「どうしてよいか分からない」状態で対策をたてているのです。
つまり指導者も問題の指導者になってしまうのが、文明国の特徴ともいえます。著名な環境学者であるルネ・デュボスは、「文明社会では指導者は人間を崩壊させ悪くする指導をする」というような意味のことをいっています。
つまり「病める文明」といわれる社会では、まず大人たちが政治家、裁判官、教師、警官などなど指導者から一般民衆まで問題の大人になってしまいやすいものなのです。
もっと一般的な話にもどりましょう。
こんな世の中ですから、どう育ててよいか分からない親、大人になっても子を産みたくない親、育てたくない親、結婚したくない大人、家庭内離婚、離婚、不倫などの夫婦、大人になっても働けない大人、強盗、殺人、汚職など問題の大人が次第に世の中の主流になってしまいます。これが文明国の宿命です。
 

■価値観の多様化

しかし、困ったことに、こんな世の中になっても、大人にはずるいところがあって、働かなくても、結婚しなくても、子育てがいやでも、それは価値観の多様化した時代なのだから、それはそれでいいんだと自分を正当化してしまいます。
いやなら働かなくてよい、結婚しなくてよい、離婚すればよい、不倫をすればよい、子を産まねばよい、0歳保育に預けてしまえばよい。なぜ汚職が悪いんだなどなどといったようなことなのです。
 

■問題の子が現われて当りまえ

いま、いじめが問題になっています。しかしこの子たちは、家族愛が壊れて核家族になり、近隣愛が壊れて近所付合いしないとか、家族、親子、近所がいがみ合う問題の大人の多い世の中で育ってきたのです。
大人の世界で近所がいがみ合うとか、職場で同僚との付合いがむずかしいとか、大人の世界で結構、「いじめ」とか「仲良くすることが下手」という現象がおこっているのです。いじめの子が現われても、それは当然なことなのです。
文明国型のいろいろなタイプの問題児は、問題の大人が多い世の中になったから、現われるのです。
大人たちが「価値観の多様化の時代さ、烏の勝手さ」というのなら、子供たちが万引きしても性が乱れても、登校拒否になっても、暴力も極端にいえば、シンナーも麻薬も、女高生殺しなども、「価値観の多様化の時代さ、それでいいじゃないか」ということにしなければ不公平です。
 

■まず問題の大人の対策を

日本の文明国型問題児の現われるのを予防するためには、大人たちが動物的に成熟し健全な社会人、夫婦、親になることが
必要なのですが、世の中の流れは全く逆で、いま文明国型の成熟の阻害された問題の大人たちがどんどんふえつづけているのです。日本は大人も子供も人間形成障害病の人たちで満ちあふれた国になってしまうことでしょう。
この問題の大人の多発する風潮をくい止め、改善する「新しい風潮」をつくり出すことが大切なのです。